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地の果て 至上の時/中上健次

地の果て 至上の時/中上健次_d0037562_18584230.jpg四方田犬彦の中上健次評論「貴種と転生」を読み始めるにあたり、読み落としていたことに気付く。今回は新潮文庫だったけど、そろそろ集英社から出ている全集をそろえ始めないと、市場から消えてしまいそうだ。ちなみに、8月12日は、中上健次の命日らしい。(1992年)

僭越ながら、中上健次のガイドを。中上の作品は、紀州熊野の「路地」と中上が呼称する部落をもとに展開する。過去ものもあれば、当時の現代ものもあり、舞台も新宿に移ったりする。本書は「岬」 (1975)「枯木灘」 (1978)に続く、秋幸とその血族の物語である。ちなみに、秋幸の母であるフサの物語が「鳳仙花」(1980)。スター・ウォーズ的な楽しみもあるけれど、全てを読む必要も、順番に気をつける必要もない。それぞれが独立していて、細かいところを相違があり、シリーズを意識して書かれたのではないからだ。

腹違いの弟を喧嘩で殺害し、その実刑を終えた秋幸は、母フサのもとでなく実父浜村龍造の家に寄り林業の修行を始める。かつて秋幸が育ち、兄イクオが縊死した新宮の「路地」は、都市化の波に乗り更地になっていた。秋幸は喪失感とともに龍造への複雑な思いを持つ。路地を消したのは成り上がった龍造だったのだ。秋幸の腹違いの妹「さと子」は“水の信仰”を始め、龍造の朋輩である「ヨシ兄」は覚醒剤に溺れながらジンギスカンを語り、路地趾のテントでルンペンとして暮らす。路地脇で居酒屋を経営する女性「モン」は、彼らを眺めながら太った体をもてあます。

古典となりえるストーリー自身にも魅力はあるし、ストイックな秋幸のキャラクターにも強い憧れを感じる。一方で、時間経過がやや緩慢だし、物語の舞台設定上、新宮は高度成長期に見舞われてしまっているので、かつての自然の美しさがないがゆえに、美しい情景の描写がない。パラダイスであった路地を喪失した秋幸の視点だとも言えるけれどね。

三島由紀夫に比べて、灰汁が強いので女性にはあまりオススメではない。これが万人受けするとは思えないし、他にも代表作はあるのだけれど、読みやすさから言えば、「枯木灘」がいいかもしれない。ただ、妹のさと子と交わっても、弟を殴殺しても、そして龍造の死に立ち会ったしても、秋幸が美しいということを理解して欲しいと想う。氏育ちや、経歴でなくて、人間というものがどうしたら美しいのかということを。美しさとは、生きる意志なのだと。
by musigny2001 | 2005-08-12 19:03 | 中上健次


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